大井川の清流を考える

「大井川とは」に戻る


長年にわたって大井川の清流再生に取り組んでこられた山田さんをご紹介します。

山田蔀(しとみ)さんの略歴
大正11年(1922年)2月11日 旧中川根町梅高地区に生まれる。今年(2009年)88歳。
尋常小学校卒業後、進学のため浜松の祖父のもとへ行き、昭和16年明治大学を繰上げ卒業後、陸軍へ学徒出陣する。
昭和41年(1966年)帰郷し家業の酒店を継ぐ傍ら、地元商工会の役員として青色申告で多くの方々を手助けし、また「川根交通経済史考」などを取りまとめる。

大井川との関わり
昭和35年(1960年)に塩郷ダムは完成していたが、帰郷してみると大井川の川原は子供の頃と比べ様変わりしていた。塩郷ダムから下流は水無川で川原砂漠となり、また上流は河床が高くなり浸水被害も度々おきていた。特に七夕豪雨時(1974年)の高郷地区の浸水被害はひどく、また水利権更新の時期を迎えていたこともあり、地域の問題として大井川に関わるようになった。以後大井川の「水返せ運動」は全国的にも取り上げられ、塩郷ダムから毎秒5トンの放水がされることとなり、その後の国の河川行政や1997年の河川法改正にも大きな影響を与えた。
大井川の現状に対する思い
1989年の水利権更新時には住民の「水返せ運動」も相当な熱意があった。確かに大井川に毎秒5トンの水は流れるようになったが、以前の流れとは程遠く、河床上昇は依然としてある。上流のダムの堆砂率もひどく寿命が限界に来ているダムもあると思われる。しかし地元の50代より若い人は今の状態が当然と思っているようにも見える。また水利用の観点から旧川根三町と下流域の考え方の違いもある。平成元年(1989年)から30年後の平成31年(2019年)に水利権は次回更新時期を迎えるが、若者にも以前の大井川と今とを理解してもらい、昔の大井川の姿を少しでも取り戻せるように期待したい。

山田さんのまとめられた資料

以下をクリックすると各資料が開きます。
 1.大井川の絵地図今昔
 2.「大井川通信」特集号 「大井川の源流部から沿岸域までを考える
 3.大井川の中流域を学ぶ視察会資料 大井川ウォッチングReport
以上文責 諸田讓治
Page Top へ